料理教室を始める前にお茶の先生に懐石料理を習っていた。
先生はとても気難しい年配の男性で、骨董品店主も兼ねていた。

レシピは材料しか書いてなくて、調味料も書いてなかった。
メモをしていると「書かずに覚えて帰りなさい。」と、注意されるので先生が目を離した隙に
ちゃちゃっと書きこんでいた。

事あるごとに、「女の人の頭は帽子をかぶるためにあるのか?」とか「お茶を学んでいない者は、
非常識極まりない人が多い。」みたいな、ことをチクチク言われた。
非常識な事をした覚えはないけれど、実はワタシはお茶が苦手で習っていなかったのだ。
今ならセクハラか、暴言で訴えられそうな言動が多々あったが、おとなしい生徒達は、その度に
俯いて嵐の通りすぎるのを耐えた。

ではなぜ我慢してお稽古を続けていたか?
それはワタシにとって、どこの懐石料理屋さんより味がよかったからだ。
料理教室では、高級な食材ばかり使っていた訳ではないが、その時その時の旬の食材を
丁寧に調理して最高の逸品を作る。
日本人の知恵がいっぱい詰まった魔法のような料理のとりこになってしまったのだ。

たとえば、雷干し。
大きく育ちすぎた胡瓜は、雷干しに(種の多い中心を抜き、筒状の胡瓜を一本の糸のように切り、
半日陰干しにする。)カリカリコリコリした歯ごたえが雷のようでこの名前が付けられたらしい。
何とも楽しいネーミング、手間暇かけた逸品に心がときめいた。

たとえば、鯵の妻折れ。
鯵を三枚に下ろして小骨を取り除き、塩をして皮目側に切り目を入れて串を打ち、
両端を折り曲げて焼く。とにかく食べやすくて、姿が美しい。
妻折れって、これまた何と印象的な名前のお料理!!
命名した人はさぞかし亭主関白?とか想像しながら先生の説明を聞くのが楽しかった。

写真は茄子の挟み焼き (これは自分流にアレンジしたもの)



懐石料理は客の着物が汚れることがないように、食べやすく、取り分け易く、一品一品
細心の注意を払って調理して盛り付ける。
美しい所作が求められる茶道の世界では、料理自体も芸術の一つになり美を求められる。

突き詰めると、全てが「心尽くしのお・も・て・な・し」だった。
無知なワタシは、先生から叱られながら初めておもてなしの心を教わったような気がする。

ただ、こういったおもてなしは、場と時を考えてするものである。
ワタシ的には、あまり完璧なもてなしをされると、座り心地が悪くなり、こちらの化けの皮が
はがれないうちに退散したくなるので、そのあたりを考慮して、その時その時に合わせた
もてなし方を心がけている。

その昔、友達が何かのついでに自宅に遊びに来た。まあ、突然来られても大概は
お菓子や焼き立てパンが残っており、こちらもつい「お茶でもいかがですか~。」と
声をかけるのが常だった。
レッスンでは自分が話す事が多いけれど、プライベートは聞き役に回る事が多くなる。
長年レッスンをしていたら、彼女が何を聞いて欲しくて、どんな答えを聞きたがっているか、
分かってくるものである。しかし、これが時として仇になる。
「センセイちって、居心地が良過ぎてついつい時間オーバーして困るわ。
いややわ~、もう暗くなってきたやん。」と、文句を言いながら急いで帰宅していく。

もてなして文句を言われ、ムッとしたので飼い犬にグズグズ文句を言った。
次回からその友達が来ると、「そろそろ帰れ!早く帰れ!」とワンワン吠えまくるようになった。
ワタシは犬と目を合わせて、ほくそ笑む。ウチのヤンキー犬は飛びぬけてIQが高かったのだ。

これは笑い話ではなく、本当の話である(笑) 犬の話はまた後日、いづれ。